吾妻橋・押上エリアマップ
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■成島柳北旧居(海棠園)跡幕府の重臣から維新後は随筆家に転じ、活躍した柳北が明治11(1878)年から暮らした場所。庭には海棠が植えられていた。■三代将軍家光が鷹狩りの折、急な腹痛に見舞われ、寺の井戸水で薬を飲んだとこ京島1ろ、治まったことが寺名の由来。物館■勝海舟も修行をしたゆかりの寺で、禅宗の名刹。境内の咳の爺婆尊は口や喉の病に効くとされ、参拝者が絶えない。■江戸時代に火伏せの神として諸大名や奥小学校方らの信仰を集めた。6基の区登録文化財の石燈籠にその名残りがある。■貴重な石碑の宝庫で知られる弘法大師が祀った田中稲荷が始まりという。三囲の名は、土中から発見された老翁像の周りを白狐が三度回って消えた縁起に由来。また、三井家ゆかりの神社でもある。■鷗外の少年期の屋敷跡。付近を流れる曳舟川から「曳舟通りの家」と呼び、鷗外は牽舟居士の号を用いた。■堀辰雄旧居跡文花中母、西村志氣が辰雄を連れて上条松吉に嫁ぎ、明治43年まで住み〈向島3-36〉、震災で母を失い、松吉と青年時代を過ごした場所。〈向島1-7〉■日蓮正宗の寺院。慶長元(1596)年の開山。六代将軍家宣の御台所である天英院が帰依し、繁栄した。旧中川京八広居堀通りみずはな中り通き央り通八広中明治通り小村井駅丸八通りすみだミニ情報 勝海舟は、文政6(1823)年、父親の実家、本所亀沢町の男谷(おだに)家で生まれ、7歳までこの家で過ごした。その後、本所入江町に移り、13歳から伯父、男谷精一郎の道場に通い始め、16歳で門弟の島田虎之助が浅草新堀に開いた道場に住み込んで剣術修行に励み、21歳にして免許皆伝。また、蘭学のほか、佐久間象山に師事して西洋砲術を学び、ペリー来航に際して提出した「海防意見書」が認められて幕府に登用された。 安政7(1860)年、日米修好通商条約の批准書交換のためアメリカへ使節が派遣される際には、その先遣隊を担った咸臨丸(かんりんまる)の艦長として日本人初の太平洋横断に成功。その後、軍艦奉行として坂本龍馬も塾頭を勤めた神戸海軍操練所を開いた。 慶応4(1868)年には西郷隆盛と会見し、江戸城の無血開城に成功。江戸市民を戦禍から救った。明治政府でも多くの要職を歴任し、伯爵に叙せられた。「海軍歴史」「開国起源」など多くの著書を残している。 「工房ショップ(Manufacturing Shop)」は、製造現場と販売店舗を兼ねた施設。向島めうがや(足袋)、おみねらたん(籐工芸)、ヒズファクトリー(皮革)など、区内には17の施設がある。すみだマイスターなどの職人の技を見せてもらえることも。 一部の施設では、ものづくり体験も楽しめる(要予約)。吾妻橋・押上エリアでは、屏風博物館、江戸木目込人形博物館、錺かんざし博物館、漆工博物館、ちいさな硝子の本の博物館、紗蔵(皮革)、ヒズファクトリー(皮革)が実施。 伝統の技との出会いが楽しめる、これら小さな博物館、工房ショップをぜひのぞいてみよう。 詳細は、墨田区ホームページ『「3M」運動の推進』を参照。区内を自転車で回ろう!墨田区 自転車シェアリング&レンタルhttps://visit-sumida.jp/event/21224/墨田区・一般社団法人 墨田区観光協会TEL:03-6657-5160 FAX:03-6657-5166Email:sumida@visit-sumida.jp https://visit-sumida.jp/東墨田2■■開基は浅草の妙因寺。約300年後の寛永風光明媚な江戸の名園6(1629)年、現在地に妙縁寺として再興。清水の井戸「夜寉井」があったという。文政年間(1818〜30)に沼津藩主社会福祉会館の水野忠成が十一代将軍家斉から賜■(すみだ健康ハウス入口)った別荘の庭園跡。幕末に秋田藩佐竹家が所有後、明治中期に一般公開延徳3(1491)年の創建。朱塗りの門社会福祉会館前ゆされ名園と親しまれたが、明治33から赤門寺と呼ばれた。内蔵助の縁者で、り(1900)年、札幌麦酒の工場に。の討入りを援助した大石三平の墓がある。き現在は区役所、橋■アサヒビール本社などが建つ。高さ634mは自立式電波塔としては世界一ひと際目立つ炎となる。350mと450mの2ヵ所には展望のオブジェは、台を備え、2012年5月にオープンした。フランスの工業デザイナー、フ■春慶寺ィリップ・スタルクによる。「鬼平」の舞台となった寺■隅田公園標柱元和元(1615)年、浅草森田町に創建されたが、寛文7(1667)年に現関東大震災で被害を受けた墨堤の桜を復在地に移転、押上の普賢様として賑活させようと、吾妻橋親和会の人々が隅わった。「鬼平犯科帳」で平蔵の剣友・田公園に400本の桜を植栽した記念碑。中平井橋岸井左馬之助を演■じた江守徹の揮毫による石碑がある。嘉祥2(849)年、慈覚大師が聖徳太子普賢堂には室町時自作の太子像を安置したことに始まると代に作られたとい伝わる。牛島太子堂とも呼ばれる。う木造普賢菩薩立■像が安置され、境内には「東海道四谷怪談」の作家で寛文2(1662)年、老中・酒井忠勝自身ある四世鶴屋南北が開基となり、下屋敷を寄進した寺。墓の墓などがある。所には横綱玉錦など名力士らが眠る。東墨田1立花4花1八広3八広2文花2東墨田3江戸から受け継がれてきた人への想い、暮らしへの想い すみだは、職人のまち、ものづくりのまち。すみだが誇るものづくりの伝統を応援していこうと、区では昭和60年(1985)年、「すみだ3M(スリーエム)運動」をスタートさせた。3Mとは、Mを頭文字とする三つの運動のこと。 「小さな博物館(Museum)」は、すみだの産業や文化に関する製品や道具などを展示する施設。羽子板資料館やちいさな硝子の本の博物館などの区内の伝統工芸や代表的産業について伝える博物館など、現在、区内に23の施設があり、館長から貴重な話を聞けることも。入場は無料。 「すみだマイスター(Meister)」は、優れた技術により、すみだの産業を支える付加価値の高い製品を創る人。培われてきた技と美は、押絵羽子板、錺(かざり)かんざし、江戸木■、江戸木目込人形、足袋仕立て、漆工、籐工芸、屏風表装、皮革製品、など多種多彩であり、現在、区内で36名のすみだマイスターがその技術の普及と後継に努めている。立花6江戸小紋 大松染工場江戸小紋博物館おやすみ処橘館向じま梅鉢屋三輪里稲荷神社八広二丁目橘通り■明治17(1884)年、日本の女医第一号となった吟子が、本郷や北海道で医師として活躍後、この地で開業。亡くなるまで暮らす。■水戸徳川家の別荘として利用された場所。一時幽閉された藤田東湖の漢詩碑がある。レガッタ好きの明治天皇も観戦のためにしばしば訪れた。その御座所の石碑が土手道に建つ。春は花見客でたいへん賑う。第四吾嬬小■富田木歩終焉の地「大正俳壇の啄木」と称された木歩が関東大震災で焼死した場所。貧困と病に苛ま中居堀文花三丁目れた人生を送りながら2千もの句を残す。枕橋■北十間川の隅田川口に夫婦枕のように並んで向島警察署架かっていた新小梅橋と源森橋が、まとめてこう呼ばれた。今の枕橋は当時の源森橋。■すみだ中小企業センター幕末の激動期を生き抜いた開明派幕臣平成15(2003)年、生誕180年を記念して有志の手で建立。勝は維新後に安芳と改名。香取神社通り寺島中日本橋高明治通り中村病院下町人情キラキラ橘商店街入口高松プロダクション吾嬬撮影所跡文花3すみだ中小企業センター前(香取神社入口)勝安芳(海舟)像八広四丁目八広三丁目第三吾嬬小すみだスポーツ健康センター入口如意輪寺中居堀文花二丁目東墨田一丁目中川小立花四丁目東墨田三丁目晩年の勝海舟。本名は義邦、通称は麟太郎立花図書館白髭神社入口吾嬬立花中墨田区役所内に展示されている咸臨丸の模型橘高長命寺弘福寺秋葉神社森鷗外旧居跡常泉寺浩養園跡清雄寺立花5幕末に活躍した勝海舟吾嬬一中妙縁寺福厳寺東京スカイツリー■墨田清掃工場■牛嶋神社本所の総鎮守貞観年間(859〜877)創建と伝えられる古社。関東大震災で焼失し、現在地に移転。5年に一度の大祭では、鳳輦(ほうれん)を牛が引き、50の御輿が町を練り歩き、宮入りする。荻野吟子旧居跡水戸徳川家下屋敷跡目前にそびえる東京スカイツリー。圧巻の景観を満喫しながら、江戸の名残の北十間川沿いを見どころをたどって、のんびりと!三囲神社京島3ものづくりのまちすみだ吾妻橋・押上

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