鎌倉街道下ノ道 歴史と伝統が交差する幻の道を歩こう!
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❸正福寺❷隅田川神社❻隅 田 川❶❺圓徳寺古道案内板❹木母寺古代官道(推定)鎌倉街道下ノ道(推定)まち歩きには墨田区内循環バス「1日乗車券(300円)」も便利!バス車内で購入できるほか、産業観光プラザ すみだ まち処、吾妻橋観光案内所、両国観光案内所等でも販売しています。博物館/小さな博物館工房ショップ観光案内所街あるき案内処ホテルトイレ名所・史跡・公共施設会社警察署・交番郵便局神社寺院学校消防署相撲部屋墨田区内循環バス「すみだ百景 すみまるくん・すみりんちゃん」セイコーミュージアム前・法泉寺入口隅田川神社・木母寺入口軟式野球資料室榎本武揚像入口鎌倉と下総・上総を結ぶ道は古くから「鎌倉街道下ノ道」と呼ばれていました。源頼朝が常陸国の佐竹氏討伐や奥州征伐に使用したといわれています。郷土の歴史を知る上では欠かせない道すじです。亀に乗った水神が浮州に上陸し、隅田川総鎮守の神となったとされています。水神社とも呼ばれ、狛犬ならぬ狛亀が左右に鎮座しています。東向島蓮花寺の末寺。参道に、都内最古のものといわれる板碑がたてられています。これは宝治2(1248)年の銘があり、付近の御前栽畑から出土したと伝えられています。古代東海道と呼ばれる東西に貫くこの街道は、9〜10世紀ごろ定められました。「伊勢物語」東下りのなかで在原業平が「名にしほほ、いざ事とは、宮こ鳥わがおもふ人はありやなしやと」と詠ったとされる場所は、古代東海道、隅田川の渡河点あたりだといわれています。鐘ヶ淵の由来は、隅田川がこのあたりで直角に曲がり、その様子が大工が使う「曲尺」に似ているところ。寺院の移転の際に梵鐘(ぼんしょう)が川に落ちたところからの二説が伝えられています。今の東白鬚公園一帯は、平安時代末期より、古東海道の渡河地であり旅人が利用する宿として栄えました。また1180年に源頼朝が布陣した宿としても伝わっています。現在は、桜や季節の花々が咲くなかを歩くウォーキングコースとしても人気です。謡曲「隅田川」などにもうたわれ、小説にもなっている「梅若伝説」ゆかりのお寺です。平安時代半ば、京都から人買いに連れ去られ、隅田川のほとりで12年の生涯を閉じた梅若丸と、我が子を探し歩きその死を知る母の花御前。2人を供養したお寺が梅若寺であり、現在の木母寺です。現在も命日の4月15日には梅若忌として法要が行われています。華やかな朱の山門が目立つ曹洞宗の寺院で、赤門寺とも呼ばれています。三猿を彫り出した台座に乗り、舟形光背を持つ庚申阿弥陀立像は墨田区の指定文化財です。この地域では「庚申待」という一夜を寝ずに夜を明かす行事もありました。茅葺の山門は、江戸時代中期に造られた区内最古の建造物です。関東大震災、戦災での消失を免れたため、昔日の面影を残してます。また「妖怪狸伝説」とともに狸塚が今も残っており「たぬき寺」とも呼ばれ親しまれています。下町情緒を好み、晩年は向島で暮らし、墨堤を毎日馬で散歩する姿が見られたという榎本武揚。大正2(1913)年に建てられた銅像は、勲章や軍刀に至るまで忠実に再現されています。この銅像は、梅若公園内にあります。凡例古代東海道鎌倉街道下ノ道説明板多聞寺鐘ヶ淵の名前の由来隅田宿跡榎本武揚像鎌倉街道下ノ道 説明板隅田川神社正福寺木母寺圓徳寺多聞寺隅田宿鎌倉街道下ノ道歴史と伝説が交差する幻の道を歩こう鐘ヶ淵古来よりこの地域には重要な街道があり、その周辺には数々の名所・旧跡がありました。「かの時代に」に想いを馳せ街を歩けば多くの言い伝えに出会える、そんなまち歩きはいかがですか?

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