鬼平犯科帳鬼平ナイトツアー
鬼平ナイトツアー
池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』で描かれる寛政年間、墨田区押上業平地区は、押上村と呼ばれ、田畑が広がる長閑な土地でした。
数多くの盗人が登場し、作中で長谷川平蔵(鬼平)と丁々発止と渡り合っている場面が描かれています。その舞台を提灯を持ち歩き、船に乗る夜間開催のコースです。
コース詳細
墨田区役所
墨田区の行政の要、墨田区役所からスタート。
如意輪寺
嘉祥2年(849年)、慈覚大師が聖徳太子自作の太子像を安置したことに始まると伝わる天台宗の古刹です。第4巻の「敵(かたき)」では、寺の前の花屋が盗人宿(アジト)となっています。
中之郷瓦町
水戸家下屋敷(現在の隅田公園)からみて、源兵衛橋(現在の枕橋)の対岸にありました。「蛇の眼」には、瓦焼きの仕事場がいくつもあったと描かれています。
源兵衛橋(枕橋)
「蛇の眼」の舞台。蛇の平十郎の去っていく姿に、長谷川平蔵が「あやしい奴」と感じた場所です。当時は源兵衞橋と呼ばれていました。
さなだや
『鬼平犯科帳』の作中に度々登場する、鬼平が贔屓にしていた蕎麦屋です。源兵衛橋(現在の枕橋)の北側にあったとされています。
吾妻橋【乗船】
安永3年(1774年)、「明和の大火」後に架けられた橋。当時は大川橋と呼ばれ、小説の中でもたびたび登場します。現在の橋は震災復興橋梁として昭和6年(1931年)に架橋されました。【ここから船に乗ります】
両国
船の折り返し地点
山谷堀(停泊)
鬼平なじみの船宿「嶋や」があったとされるあたりです。「大川の隠居」など、様々な話で登場します。
三めぐりの土手
「大川の隠居」に登場します。大川(隅田川)の土手のうち、三囲神社の鳥居の貫から上が川面から見える辺りを指したようです。
吾妻橋【下船】
【ここで船を降りて、ツアーは終了です】