すみだまち歩きー向島文学散歩 Mukojima Literary Walk 【電柱案内板:C23】
向島文学散歩 向島ゆかりの文人をたずねる
隅田川の景色は、何ものにも代えがたく美しい。
かつて、向島に居を構えた文人たちはこの景色と人を愛し、多くの名作がこの地から生まれました。
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コース詳細
堀辰雄旧居跡
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小説『風立ちぬ』で有名な堀辰雄は、2歳の時に向島小梅町に越してきました。高校入学後に文学に目覚め、大学に進学した翌年には中野重治らと共に、同人誌『驢馬』を創刊しています。
佐多稲子旧居跡
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小説家・佐多稲子は、小学校を中退後、働きながら小説や短歌を投稿していました。これらは後に、小説『キャラメル工場から』にまとめられた。自叙伝『私の東京地図』には、長く暮らした向島のことが書かれています。
すみだ郷土文化資料館
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すみだの歴史や伝統文化を紹介するほか、貴重な文化遺産を保存・継承していく資料館です。1階や2階の展示スペースでは、堀辰雄や幸田露伴、森鴎外など、すみだゆかりの文人たちを紹介しています。
饗庭篁村旧居跡
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明治時代の小説家で演劇評論家。新聞社の編集記者として、劇評や小説を執筆していました。『隅田の春』では、向島小梅町や寺島で暮らしていた頃のエピソードなどが書かれています。
森鴎外旧居跡
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小説家・森鷗外は、10歳で父と上京し、向島須崎村の亀井邸に移り住みました。その後、向島小梅町に転居しました。「鷗外」「牽舟(ひきふね)居士」などすみだの地に由来したペンネームをつけるほど、この街に強い愛着を抱いていました。
淡島寒月旧居跡
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明治時代の趣味人。作家、画家でもある。父の淡島椿岳は知識欲が旺盛な趣味人でした。明治17年(1884年)、向島の弘福寺敷地内に隠居所を構えました。その後、息子の寒月もこの地に隠居し、悠々自適な生活を送りました。
正岡子規仮寓の地
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近代日本を代表する俳人・正岡子規。向島周辺の景色を好み、歌を数多く遺している。「長命寺 桜もち」の2階を3ヶ月ほど借りて、自ら「月香楼(げっこうろう)」と名付け滞在していた。
依田學海旧居跡
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小説家・森鷗外の師としても知られる依田學海は、向島の須崎村に居を構えていた。向島百花園にも頻繁に足を運び、『墨水二十四景記』に向島百花園について記載しています。
吉川英治旧居跡
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吉川英治は大正6年(1917年)、25歳の時、花街で知り合った赤沢やすと寺島村で暮らし始めます。本格的な作家活動は『親鸞記』の連載です。その後は、『剣難女難』や『鳴門秘帖』で文学作家としての地位を確立しました。
露伴児童遊園
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ここは、小説家・幸田露伴が墨田区内で3番目に住んだ「第二蝸牛庵」があったところです。園内には露伴の代表作『運命』の碑が建てられています。露伴は府立第七中学校(現:墨田川高校)が開校するにあたり、校歌を作詞しています。